The Soil of Design Soil


アーキフォーラムのシンポジウムのときに少しだけお話した田頭さんが率いているDesign Soilから展示イベントの案内がきました。来週から始まる「The Soil of Design Soil」です。遠いなあ、とツイートしたら田頭さんご本人から「損はさせません」とお誘いが。そりゃもう行くしかありません。初日のオープニング・パーティーに参戦です。
会期:2013/6/25(火)〜7/2(火)(休館日:6/30(日))
時間:10:00〜18:00
会場:神戸芸術工科大学ギャラリー・セレンディップ
入場無料
 

住まいをデザインする顔−関西30代の仕事−


大阪くらしの今昔館で「住まいをデザインする顔−関西30代の仕事−」が開催されています。約半数はどこかでご一緒した人ということもあり、早速足を運んだら閉館時間を過ぎてて、次に行ったときには火曜日で未だに見れてません。出展者のギャラリートークやトークセッション(6/23(日)13時半〜)もあるそうなのでどれかに合わせて行く予定です。果てさて最近の私の着想(「作ること」という行為の「循環」こそが日本における「建築」)がそこにあるのか、全くの見当違いなのか。
出展者:
阿曽芙実、荒尾宗平、家成俊勝・赤代武志、今津康夫、魚谷剛紀、魚谷繁礼、奥野八十八、香川貴範・岸上純子、垣内光司、河田 剛、木村吉成・松本尚子、小池志保子・竹内正明、笹岡周平、下山幸三、白須寛規、田頭章徳、寺田雅史・中山陽州、畑 友洋、原口 啓、三木慶悟、吉行良平
特別出展者:
木原千利、竹原義二、吉村篤一(以上50音順、敬称略)
 場所:大阪くらしの今昔館 8階 企画展示室
 期間:2013/6/9(日)〜6/30(日)
 時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
 休館日:火曜日、第3月曜日
 入館料:企画展のみの場合、一般:200円、学生:無料(学生証要提示)
 

design method 〜デザインの教科書〜


「design method 〜デザインの教科書〜」プロダクトデザイナー秋田道夫展のオープニングパーティーに行ってきました。招待されたわけでもないんだけど、秋田さんには富山のコンペで審査していただいた直後に話したいことが山ほど出てきてまとめられないまんま今に至るで、どうしてもご挨拶したかった。行くといきなりご本人が入り口で背を向けて立っていた。これ幸いとお話すると、相変わらずすべてお見通しで困った困った。パーティーは当然盛況でしたが誰一人知った顔に遭遇せず、作品見ながらビール一杯飲んで、ちょっと落書きして帰りました。んー、何が良いデザインなのか、優れたデザインなのかとか、以外のところでいろいろ考えさせられました。
 期間:2013/6/9(日)〜6/30(日)
 時間:火〜金12:00〜18:00、土日祝8:00〜11:00/13:00〜18:00
 場所:大阪府大阪市西区京町堀 1-13-21 高木ビル1階奥
    ヴェイディミーカン・ショールームナンバーツー

大産大でインタビュー

先週6月4日のお昼前に大阪産業大学の梅田サテライトキャンパスでデザイン工学部の学生さんにインタビューを受けました。一年生ということもあり、まだまだ目的意識が定まってなくて、指導している深水先生の助け船がたくさん出航していました。話が進む中で、規模が大きすぎて避けていた「建築」だったのに、それを飛び越えてまちづくりかかわろうとしている自分に気付かされたのは発見でした。結構思うままに(計算機の話とか)話してたので、あれをまとめる学生さん大変だあ、すいませんでした。深水先生を始め森川さん森島さん森本さん八木さん安田さんご苦労様でした。

アーキフォーラム/「新しい建築の言葉」シンポジウムの巻


アーキフォーラム今シリーズの総括としてこの日はコーディネーター全員参加のシンポジウムでした。開場前には司会の山口さんと、最近の建築の傾向として「トレンド」ぐらいの括りで片付けられちゃう危機感の話をしていました。それを頭の中でグルグルさせているうちに開始。

各コーディネーターの紹介に続いて開催日順に各自10分ずつ話す。最初の香川さんが自身と長谷川さんとの対比を「差異:反復性」と表していたけれど、ドゥルーズとは無関係の模様。各コーディネーターをつなぐキーワードを手前勝手に選ぶと、香川:環境、田頭:無名である美徳、金野:biological diversity、:依って立つもの、今津:抜き差しなる関係、島田:所有からの自由(敬称略)です。どれも積極的に外的な要因に左右されようとしています。ただ畑さんのキーワードは立ち位置は変えずに依って立つというものなのでかなり意味が変わってくる。残りの5人は予め欠けた部分作っておいて、そこが補完される道筋までを計画の全体としているところに共通点があります。「不完全の安定性」と括っていいと思う。
そこで思い当たったのが西洋建築が入り込む以前の日本建築でした。伊勢神宮の式年遷宮しかり、倒壊を前提に再建が続けられたと思われる出雲大社しかり、近世では日光東照宮の逆柱もそう。これら全ては完成を忌避しています。特に古代から続く前者二つは行為の永続性にこそ建築が定義付けられています。これは完成の連続性に喜びを見い出す西洋建築とは大きく違う。同じような考えは「芸術新潮2004/06」で磯崎新も語っています。(増補、再編集された『日本の建築遺産12選』が新潮社より出版されています)
上記の磯崎新に代表されるように、これまで西洋近代建築を受け取り作って来た人たちはこの日本建築に独自の「不完全」の持つ幅に気付いていました。そしていつの頃からか完全なる建造物を建てるようになり、竣工写真を撮影する時にそのピークを見せるというのが大勢を占めるようになってきました。これに対してスクラップ&ビルドを助長することで社会全体の安定は保たれてきたのでしょう。しかしこの日壇上にいた人たちや彼らのゲストが作る建築には「カワイイ」、「柔軟性」といった要素が内包されていて、いつでも部分的な更新が可能なものになっています。だから今の日本の建築家の傾向に危機感を持つよりも、翻訳語である「建築」の導入以前から日本で連綿と続いていた「作ること」という行為の「循環」こそが日本における「建築」であり、その日本に独自の建築観が回帰したんだと前向きに捉えたのです。
座談会形式に移ってからも香川さんが「建築を(中略)みんなが座れるテーブルのように捉えたい。」と言ったり、島田さんが金野さんの作品ロッジアの設計をして「60年代のレコードを使ってDJをするような、編集するような態度」と評したのが面白かった。金野さんからは畑さんの作品の尖んがり具合の指摘があったけど、倉方塾で話の導入部に白井晟一の設計を持ってきた畑さんを見ていたので私は逆の見方でした。だからこそこの日の畑さんは「他者性」と「客観性」で全体と対峙しようとしてたんでしょう。
「新しい建築の言葉」の有無はともかくとして、これからも関西は建築を観測するのによい場所であるようです。
※例によって今回もトゥギャられています。
http://togetter.com/li/508373
はるろさんご苦労様です。

本屋の本音ばなし


16日(土)、「本屋の本音ばなし-今、出会い系本屋に聞きたいこと-」ってのに行ってきました。FBでこのイベントとまちライブラリー@大阪府立大学のオープニングイベントと招待されてて、後者は頭がキンキンになりそうなのでこっちをチョイス。最近よく耳にする「スタンダードブックストア」の中川さんと北浜の古本屋「FOLK old book store」の吉村さんの対談でした。けっこう盛況で客席は「本屋好き」で埋め尽くされた感じ。アウェー感満載でした。本屋の現状(新刊の本屋は成り立たない)から各地のイイ本屋の話、それぞれのお店の経営方針(他力本願を旨とする)の話などが聞けました。んー、「本屋好き」かあ、不思議な区分だ。話を聞いてるとアメリカ村にあった昔の天牛書店を思い出しました。一間半の細いエントランスを抜けて、大空間に入り本を物色。5・6冊を手にコカ・コーラのベンチに座って読む。たまには自販機でコーヒーを買う。さらにたまには本を買う。いい場所だったなあ。確かに今ああいった場所ってないのかも。

倉方塾/畑友洋の巻


今回の倉方塾も失礼ながら事前情報はチラシのみで参加。そのチラシの画像から在りがちな住宅作家の印象を持ったまま始まる。倉方さんより京大高松研との紹介。畑さんからは学生時代の白井晟一の研究の説明がありました。それは平面図の分析で「お、そういう導入か」といい意味ですかされる。
そうして作品紹介に移行。一つ目の「岩倉の家」では「京都らしさ」の風致としての障壁に抗う姿勢が示される。ところが次のバリ島ウブドのリゾート施設では180°立ち位置を転換させて、自発的な「バリらしさ」を積極採用。そのココロは「しばりとしての構成原理はやりたくない」ということでした。自由と同居する白井建築の設いにもそれを見い出していたとのこと。
「Network Housing」はヘタ地と呼ばれる利用の難しい余った土地に一つの役割(trunk, dinning, spa)を与えて「まちをめぐるLife Style」をつくるというもの。SDレビューに選ばれた作品で、かなり大胆な提案だから実現可能性の薄いものかと思ったらもう少しのところまで来ているとのこと。多少の妥協をしてでも早く具体例として実現して欲しいのは質問でも伝えました。ご本人はfunctionを再構築した「ネットワーク型集合住宅」と呼んでいましたが、施主あってのものなので離散型コーポラティブハウスといったところかな。
Boka Artist Residence」はコンペの当選案。現地の工法や材料、そして地形などバリの作品と同様に「そこにあるもの」を使った案で、傾斜地の現場での暴力的な施工行為の経験を踏まえての提案なのだそう。
これら以外の作品のプレゼンも含めての頻出単語が「構成原理」でした。それ故に各プロジェクトの全体の流れが理路整然としていて、倉方さんが揶揄してではなく「京大のオールドファッション」と評したのがよくわかる。大規模な公共建築でも対応可能といった感じでした。ただ「取り除きようがない癖」のようなものが見つけられなかった。それを不満と感じるのは私の年齢のせいなのかもしれません。「Network Housing」でのスパの形態なんかはどうしようもなくああなっちゃったものだと推察するんだけど、ああいうのはスタートからゴールまでのプロセスの向こう側にあるものの一種なんだと思う。
プロセスと言えば「プロセスを語る、語らない」という点で前回の垣内さんとは正反対だという話もありました。
最後は私の質問から流れて白井晟一というフリダシに戻る、でオチがついて完結。
おまけ:高松伸さんや渡辺豊和さんに対する私の解釈はファンタジーです。

『「ひかり」のポリフォニー』展示空間


昨年2月のpallalink月組イベントの『「ひかり」のポリフォニー』をあらためて展示空間の設計者の立場でまとめてアップしています。23mも跳ばした蚊帳(正しくは農業用の寒冷紗)のスクリーンはもとより、夜の展示空間で地味に活躍していたプロジェクターの台2種の画像も上げています。そう言えばpallaさんとキチンと仕事したのは初めてだったかもしれない。
さて今年もpallaさん企画、何かあるんだろうか。彼の近作のビデオに勝手に音楽でも付けてやろうか。Reason Essentials買ったしね。それより頼まれてる翻訳やらなくちゃ。

倉方塾/垣内光司(八百光設計部)の巻


前回は遅刻しそうになったんでこの日は30分前に到着。一番乗りでした。ご本人に挨拶して退室。designde周辺をウロチョロして戻る。ナンカ不自然な変な場所だ。
垣内さんについてはほとんど前情報なしで話を聞いてましたが、かなりのエンターテイナーでした。キチンと「ネタ繰り」されたプレゼンに感銘。
代表作の「Do It Yourself」では清掃・計測・解体(と処分)を経て施主(施工主)が当事者意識を持ち、材料・構造・工法の知識と技術を獲得していく過程がプレゼンされる。もうロードムービーを一本見せられた感じ。その流れで「角地カフェ(ストック循環プロジェクト)」や「鵜住居の合掌」などがプレゼンされる。融通の利くありモノの使い方に共感しました。「先輩制度」によりデニムや若人が各プロジェクト投入される様子を見て中谷さんの「築道」を思い出しました。アレは今どうなってるんだろう。
終盤、倉方さんも加わって「建築/建築家」の在り方・役割に」ついての話があった。プロだけができることとして、空間とか言ってんじゃなくて、知識や技術を提供する立ち位置で判断し指示するところに本分があるといった話でした。前回のキムマツさんのときは「脚本家」という立ち位置で私は解釈したんだけれど、今回の話を聞いてそれよりは「マネージャー」だなあと思ったら垣内さんご自身もその意識があるらしい(AARのインタビュー)。
また倉方さんが21世紀型の建築を「プロジェクト(行為)としての建築」と定義し従来型の建築家像と区別したのはわかりやすかった。つまり一物件単体のプロジェクトをまちづくりの手法を用いて周辺を巻き込んで行うというもの。もっと言えば通常の設計施工行為こそをプレゼンテーションするべき対象物として捉えるということ。これって「普通にやろうよ」ってことになるのかな。私自身はこれだけだと未来は暗いように思えてしまうなあ。最後に、垣内さんってオルタナ系なんだろうか、それとも新しいポップなんだろうか。もひとつ、垣内さんのホームページがシンプル過ぎてビックリ。

倉方塾/木村松本建築設計事務所の巻


twitterでニョキニョキと顔が見えてて気になってた倉方さん。彼が主催する倉方塾に初めて参加しました。講演者は木村松本建築設計事務所の木村吉成さんと松本尚子さん。5分前に到着したらもうほぼ満席でした。入るとすぐにある人にとっ捕まって後方で話してるうちに講演が始まる。
以下、私のノートより。カッコ内は私の注釈です。
・快適に技術
  スケール、エリア、フォルム→日々の快適
  快適→負荷、ストレスの無い状態
・わたし、わたしたち、あなた
  ジル・クレモン(Gilles Clement)のガーデニング
  ↓
  他人の庭−テラス、空き地、苔など
     ↓↓↓
・生活←境界をまたぎつづける日々
・都会の生活→所有感の息苦しさ
・K
  建築の要素として同格に扱われる家具、構造体
  あいているかもと思ってしまう窓の計画
  「家のなか」⇔「街のなか」に住んでいる
・mina
  地域とのつながり方
・シナ
  地域性→地域の構成を抽象化→具体化(抽出し形づくる)
  地勢と人の生活→田舎の直行しない地勢の構成→平面計画
・倉方さんも入って「肌合い」の話とか
・木村松本建築→「弱いつながりを編みあげたような」
・「建築家の不可解(不可快?)さ」「建築は不安との戦い」
終盤は木村松本建築に独自の「型」の無さについてでした。私はそれを「視座」なんだと思っています。特に木村さんについては「眺めている人」だなあと勝手に納得しました。「眺めている」って言っても傍観者じゃなくて、脚本家のようなイメージです。建築と映画の対比で言うと「建築家=映画監督」のような図式を考えがちですが、「図面=脚本」と捉えると彼らの建築の構成や過程が良く見えるということ。倉方さんは「じゃ、クールハースですね」と返してくれましたが、どうなんだろ。クールハースの建築はそれほど脚本的じゃないしね(脚本的ってなんだ?と自問)。あとの流れにもついていっていろいろ話が出来て充実でした。倉方さんに対しては、ちょっと饒舌過ぎたなあと反省。次回も参加してみようかな。
追記:
ついて行った飲み屋がこんなだった。偶然に下階のギャラリーが今日テレビで紹介されててビックリでした。ここで「最強の施主」というものを見てこれにもビックリでした。