倉方塾/畑友洋の巻


今回の倉方塾も失礼ながら事前情報はチラシのみで参加。そのチラシの画像から在りがちな住宅作家の印象を持ったまま始まる。倉方さんより京大高松研との紹介。畑さんからは学生時代の白井晟一の研究の説明がありました。それは平面図の分析で「お、そういう導入か」といい意味ですかされる。
そうして作品紹介に移行。一つ目の「岩倉の家」では「京都らしさ」の風致としての障壁に抗う姿勢が示される。ところが次のバリ島ウブドのリゾート施設では180°立ち位置を転換させて、自発的な「バリらしさ」を積極採用。そのココロは「しばりとしての構成原理はやりたくない」ということでした。自由と同居する白井建築の設いにもそれを見い出していたとのこと。
「Network Housing」はヘタ地と呼ばれる利用の難しい余った土地に一つの役割(trunk, dinning, spa)を与えて「まちをめぐるLife Style」をつくるというもの。SDレビューに選ばれた作品で、かなり大胆な提案だから実現可能性の薄いものかと思ったらもう少しのところまで来ているとのこと。多少の妥協をしてでも早く具体例として実現して欲しいのは質問でも伝えました。ご本人はfunctionを再構築した「ネットワーク型集合住宅」と呼んでいましたが、施主あってのものなので離散型コーポラティブハウスといったところかな。
Boka Artist Residence」はコンペの当選案。現地の工法や材料、そして地形などバリの作品と同様に「そこにあるもの」を使った案で、傾斜地の現場での暴力的な施工行為の経験を踏まえての提案なのだそう。
これら以外の作品のプレゼンも含めての頻出単語が「構成原理」でした。それ故に各プロジェクトの全体の流れが理路整然としていて、倉方さんが揶揄してではなく「京大のオールドファッション」と評したのがよくわかる。大規模な公共建築でも対応可能といった感じでした。ただ「取り除きようがない癖」のようなものが見つけられなかった。それを不満と感じるのは私の年齢のせいなのかもしれません。「Network Housing」でのスパの形態なんかはどうしようもなくああなっちゃったものだと推察するんだけど、ああいうのはスタートからゴールまでのプロセスの向こう側にあるものの一種なんだと思う。
プロセスと言えば「プロセスを語る、語らない」という点で前回の垣内さんとは正反対だという話もありました。
最後は私の質問から流れて白井晟一というフリダシに戻る、でオチがついて完結。
おまけ:高松伸さんや渡辺豊和さんに対する私の解釈はファンタジーです。