自動計算機

 17世紀末、ライプニッツが二進法を提唱したとき、パリの王立科学アカデミーは全くそれを評価しなかった。しかし、当の本人も何かの役に立つはずだ、という程度の曖昧な理解を示したにすぎなかった。もちろん彼の本分は哲学にあったとも言えるし、この着想も彼の“思想”の一部であって直接的にコンピューターへの流れを汲む“テクノロジー”ではないのかもしれない。この考えを進めるにはチャールズ・バベッジの登場を待たなければならない。
 大航海時代を通じて人々は世界の果てを見たい、知りたいそして我がものにしたいという知識欲・征服欲に満ちあふれていた。しかし大航海に不可欠だった対数表は手計算でなされており、その中からヒューマン・エラーを取り除くことは至難の業だった。その解決ためにも自動計算機の開発が急務であった。その任に当ったのがチャールズ・バベッジなのだ。しかしながら、設計を終えたその機械 -difference engine(階差機関)-は諸処の事情により現実に完成することはなかった。(実はイギリス科学博物館がバベッジ生誕200年記念事業の一環として、当時の技術で完成させている。)にもかかわらず彼は開発の手をゆるめず、さらに進化した -analytical engine(解析機関)- を考え出した。これはパンチカードを用いたプログラマブルなものであった。もし当時これが作られていたら、と思う人があればウィリアム・ギブスンの「ディファレンス・エンジン」(角川文庫:絶版)を読んでみるといい。
 時代は代わり、我々は科学技術の発達によって宇宙までも自分の範疇に入れようとしている。しかしその中身は、規模が違っているだけの繰り返しにすぎない。それは機械式計算機が桁を移動するのに似ている。つまり自動計算機というものは人間の“夢”または“欲”といった概念を具現化の一例に他ならない。人はどこまでも進もうとする。計算機達を手元に置きニヤニヤしている私もその一人である。